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2018/08/02 21:43

 

 

 

 フランス・パリ市内のモンマルトルに位置する「赤い風車」で有名なキャバレー、ムーラン・ルージュ。華やかな衣装に身を包んだ“カンカン”を踊る踊り子や、夜の帳に響くシャンソンの歌声ー。1880年代後半から1890年代、煌びやかでどこか退廃的な雰囲気の酒場に入り浸っていた一人の画家がいました。アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックは、自身も通い詰めたムーラン・ルージュに訪れる客と、その人間模様を描いたポスターやリトグラフが人気を博し、商業ポスターを芸術の域に高めた偉大なる芸術家として功績を残しました。当時の酒場の雰囲気や情景を思わせる、アールヌーヴォーの落ち着いた色調のポスターを一度はご覧になられた事がある方も多いかもしれません。

 

 

 ロートレックは1864年、フランス南部のアルビにて9世紀から血筋が続く由緒ある名家の長男として生まれました。ロートレックが8歳を迎えた頃、両親の不仲もあって母親と共にパリに移り住み、ロートレックのスケッチを見た母親や家族はその才能を見出して、父親の友人であるルネ・プリンセトーのもとで本格的に絵画を学ばせるようになります。しかし、先天性の病も起因して10代半ばに両足の大腿骨を骨折して以降、下半身の発育が停止する症状に見舞われ、疎遠だった父親との関係も更に縁遠いものになっていきました。そして18才の頃、母親やプリンセトーの勧めもあって肖像画家として既に名を馳せていたレオン・ボナの画塾で学んだ後、著名画家のフェルナン・コルモンのアトリエに移り、本格的にモンマルトルで生活を送るようになります。その数年後に、パリに出てきたばかりのフィンセント・ファン・ゴッホと出会い、1887年にロートレックが描いたゴッホの肖像画が残されています。

 

 

 

 こちらは1892年に描かれた「Divan Japonais」をもとに、旧東ベルリンに社屋を構えていた出版社・Taco Verlagsgesellshaft & Agentur mbHから1988年に発行されたポスターです。ムーラン・ルージュで親交の深かったトップダンサー、ジャンヌ・アヴリルやシャンソン歌手のイヴェット・ギルベールをモデルに、数々のポスターやリトグラフの名作を生み出しました。この「Divan Japonais」は、左奥の黒い長手袋をして歌っているスレンダーな女性がイヴェット・ギルベール、右隣のハットを被った男性は音楽評論家のエドゥワール・デュジャルダン、そして中央の黒いドレスを着た女性がジャンヌ・アヴリルで、普段はステージに立って踊っているアヴリルが客席からステージを眺めている珍しい構図です。また、ロートレックは当時ヨーロッパで流行していたジャポニズム(日本趣味・文化)からインスピレーションを受け、特に浮世絵の画法を積極的に取り入れた画家としても有名です。輪郭がはっきりした平面描写と、スナップ写真のように人物の全体像を写さないスタイルからもその影響が伺えます。雰囲気のある夜の酒場をイメージするように、ご自宅のインテリアとしても映える作品となっています。

 

 

 

 ムーラン・ルージュ関連の作品以外にも多くの名作を制作する一方で、心身的なストレスを抱え続けていたこともあり、酒と異性関係による退廃的な生活を送っていたロートレックは、アルコール依存と梅毒を患っていたために33歳頃から衰弱し始めていたそうです。画家のゴッホやピカソ、詩人のアルチュール・ランボーやヴェルレーヌも愛飲した「アブサン」による中毒は深刻なもので、療養所に強制入院した後に退院しましたが、衰弱は進行し続け、母親に看取られることを望んだロートレックは母親の邸宅である城館で、両親に見守られながら36歳で逝去しました。最後に発した言葉は、息子(ロートレック)の絵の才能を認めようとしなかった父親を罵る言葉だったと言われています。その複雑な心境は当事者にしか分かりませんが、妖艶なパリの夜に身を委ねながら、酒場を描きつつ群像を眺めていたロートレックは日々何を思っていたのでしょうか。

 

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